FAOの昆虫食報告書は何を書いたのか。13年後に条件から読み直す

2013年5月13日、国際連合食糧農業機関(FAO)が一冊の報告書を公開しました。

『Edible insects: future prospects for food and feed security』といいます。

FAO Forestry Paper No.171 として出されました。

著者はヴァーヘニンゲン大学のArnold van Huis氏らです。

全201ページあります。

セミたまはこの報告書を2019年に紹介しました。

それから7年、報告書の発行からは13年が経ちました。

この記事は、そのときの紹介を原典から書き直したものです。

報告書は第1章で、昆虫を食べる理由を3つに整理しています。

健康

鶏・豚・牛、さらには魚にかわる、健康で栄養のある選択肢であること。

多くの昆虫がタンパク質と良質な脂肪に富み、カルシウム・鉄・亜鉛を多く含むこと。

すでに多くの地域で伝統的な食生活の一部になっていること。

環境

多くの家畜より温室効果ガスの排出がかなり少ないこと。

アンモニアの排出も家畜よりはるかに少ないこと。

変温動物なので、飼料をタンパク質に変える効率が高いこと。

有機性の廃棄物で育てられること。

生計(経済・社会)

昆虫の採集や飼育は低い技術と少ない資本で始められること。

女性や土地を持たない人など、最も貧しい層にも入り口があること。

投資の水準に応じて、素朴な方法にも高度な方法にもなりうること。

報告書が置いた5つの条件

報告書の第5章は「昆虫飼育の環境面での可能性」です。

ここに、上の主張が成り立つ条件が書かれています。

条件1 「同じ量のタンパク質」で比べている

報告書は、飼料要求率が「動物の種類と生産方式によって大きく異なる」と断っています。

そのうえで比較の数字を出しています。

コオロギが同じ量のタンパク質をつくるのに必要な飼料は、牛の12分の1です。

羊の4分の1、豚とブロイラーの半分にあたります。

この「12分の1」は体重あたりではなくタンパク質あたりの数字です。

生体重1kgあたりで見ると差はもっと小さくなります。

条件2 比較相手はアメリカの生産方式

飼料の数字の出どころは、2002年のSmilによる推計です。

「アメリカの典型的な生産方式では」という条件がついています。

生体重1kgをつくるのに、鶏は2.5kg、豚は5kg、牛は10kgの飼料が要ります。

コオロギは1.7kgでした(Collavoら、2005年)。

さらに食べられる割合の差が効いています。

コオロギは最大80%が食べられるのに対し、鶏と豚は55%、牛は40%です。

この換算を通したうえで、12倍という数字が出ています。

コオロギ・鶏・豚・牛について、食べられる部分の割合と、体重1kgあたり・可食部1kgあたりの飼料量を比べたFAOの棒グラフ

図5.1 コオロギと従来の食肉の生産効率。出典: FAO (2013) Edible insects: future prospects for food and feed security, FAO Forestry Paper 171, 図5.1(原図の出典: van Huis, 2013)

条件3 温室効果ガスの数字は実験室の小規模実験

温室効果ガスとアンモニアの比較は、2010年のOoninckxらの研究によります。

ミールワームの幼虫・コオロギ・バッタを、豚と肉牛と比べたものです。

温室効果ガスはおよそ100分の1、アンモニアは豚のおよそ10分の1でした。

差は大きいのですが、報告書はすぐ後にこう書いています。

これらの結果は実験室で行われた小規模な実験から得られたものであり、大規模な豚肉・牛肉生産との比較には注意が必要である。

報告書自身が、比較に注意せよと書いています。

ミールワーム・コオロギ・バッタ・豚・肉牛について、体重増加1kgあたりの温室効果ガスとアンモニアの発生量を比べたFAOの棒グラフ

図5.4 3種の昆虫・豚・肉牛の、体重増加1kgあたりの温室効果ガスとアンモニアの発生量。出典: FAO (2013) Edible insects: future prospects for food and feed security, FAO Forestry Paper 171, 図5.4(原図の出典: Oonincx et al., 2010)

なおメタンを出す昆虫はシロアリ・ゴキブリ・コガネムシの仲間だけだ、とも書かれています。

条件4 廃棄物で育てる話は、当時まだ認められていなかった

廃棄物の変換が得意なのはアメリカミズアブ・イエバエ・ミールワームだとしています。

そのうえで、こう続きます。

コオロギなどの他の昆虫種は昆虫農場で飼育され、鶏用飼料のような高品質の飼料を与えられている。

さらに、飼料を廃棄物に置き換えることについて。

しかし現時点では、食品および飼料の法令によりこれは認められていない。

廃棄物で育てる昆虫と、飼料で育てる昆虫は別だということです。

人間が食べる昆虫を廃棄物で育てることについても、報告書は慎重です。

病原体と汚染物質のリスクが未解明だと書いています。

日本では、菌糸やバナナなどの食料廃棄物でカブトムシを育てている企業を取材しました。

カブトムシの昆虫食としての可能性がすごい!食料廃棄物活用~株式会社TOMUSHI~

条件5 ライフサイクル評価はミールワーム1種だけ

生産から廃棄までを通して環境負荷を測る手法をライフサイクル評価といいます。

報告書は、食用昆虫でこの評価が行われているのはミールワームだけだと書いています。

その1件(Oonincxとde Boer、2012年)の結果が示唆的です。

タンパク質1kgあたりの土地の使用量は、ミールワームが1haに対し牛肉が10haでした。

牛乳は2.5ha、豚肉と鶏肉は2〜3.5haです。

一方でエネルギーの使用量は違いました。

牛肉より少なく、豚肉と同程度で、鶏肉と牛乳よりはやや多いという結果です。

ミールワーム・牛乳・豚肉・鶏肉・牛肉について、タンパク質1kgあたりの温室効果ガス・エネルギー使用量・土地使用量を並べたFAOの棒グラフ

図5.5 タンパク質1kgを生産するときの温室効果ガス・エネルギー使用量・土地使用量。灰色が文献中の最小値、濃い緑が最大値。出典: FAO (2013) Edible insects: future prospects for food and feed security, FAO Forestry Paper 171, 図5.5(原図の出典: Oonincx and de Boer, 2012)

「どの家畜と比べるか」「何を測るか」で向きが変わります。

水についても報告書は正直です。

同等の重量の食用昆虫を育てるのに必要な水の量は、推定値が存在しないと書いています。

昆虫食のための養殖のメリットとデメリット

13年で変わったこと

日本では昆虫食が政策の文書に入りました。

農林水産省の「みどりの食料システム戦略」(令和3年5月)です。

「代替肉・昆虫食の研究開発等、フードテックの展開を産学官連携で推進」と書かれています。

令和2年10月には、フードテック官民協議会が設立されました。

ここに「昆虫ビジネス研究開発」の作業部会が置かれています。

生産のルールもできました。

昆虫ビジネス研究開発プラットフォーム(iBPF)が、ガイドラインを順に公表しています。

2022年7月に「コオロギ生産ガイドライン」。

2023年2月に「ミズアブ生産ガイドライン」。

2024年1月に「食・飼料用カイコ、ミールワーム、イエバエ生産ガイドライン」。

いずれも「食用又は飼料用として生産する際に生産者が順守すべき管理手法を定めたもの」です。

野生からの採集は対象外とされています(農林水産省「フードテックをめぐる状況」)。

報告書が「低い技術と少ない資本で始められる」と書いた分野に、守るべき工程ができました。

海外でも制度が動き、EUは2023年までに4種目の昆虫を新規食品として承認しています。

安全性の情報も増えました。

食品安全委員会が、ベルギー連邦フードチェーン安全庁の報告書を紹介しています。

2014年のものです。

節足動物の摂取によってアレルギー反応が起こる可能性を指摘したものです。

昆虫食は危険!?昆虫食を食べるリスク、デメリットとは

日本で実際に起きたこと

同じ13年で、うまくいかなかったこともあります。

株式会社グリラスは、徳島大学でコオロギの発生メカニズムを研究する渡辺崇人さんらが2019年に設立しました。

2020年に「無印良品」のせんべいに粉末が採用され、注目を集めます。

2021年には自社ブランドを立ち上げました。

転機は2022年度でした。

徳島県内の高校が、コオロギの乾燥粉末入りの給食を提供します。

このとき高校は、食糧危機や昆虫食に関する授業を開いています。

甲殻アレルギーへの注意も促したうえで、希望者だけに提供しました。

しかしニュースに反応した人々が、ネット上で昆虫食への嫌悪や安全性への批判を繰り返します。

商談が相次いで立ち消えました。

渡辺さんは「SNSでの炎上の影響が大きかった」と話しています。

同社は飼料向け事業の拡大を図りました。

しかし設備投資に必要な国の補助金が受けられず、継続を断念します。

2023年5月期の売上高は約3,800万円でした。

グリラスは事業を停止し、徳島地裁に自己破産を申請します。

負債額は約1億5,000万円でした(日本経済新聞、2024年11月21日)。

長野県岡谷市で設立された株式会社クリケットファームも、破産手続きの開始決定を受けています。

2024年1月31日のことです。

負債額は関連2社と合計で2億4,290万円でした(信濃毎日新聞、2024年1月31日)。

その後の記録も残っています。

農林水産省「フードテックをめぐる状況」の令和6年11月版です。

ここには昆虫の事例として、株式会社グリラスが載っていました。

同じ資料の令和8年2月版のその位置には株式会社エコロギーが入り、グリラスの名前はありません。

徳島大学の「徳島大学発ベンチャー企業一覧」2026年5月11日更新にも、グリラスの記載はありません。

ただし、昆虫の事業そのものが消えたわけではありません。

2026年2月時点の農林水産省の資料では、コオロギの株式会社エコロギー、イエバエの株式会社ムスカ、カイコのMorus株式会社が並んでいます。

撤退した企業があり、続けている企業があります。

それで、昆虫食は環境に良いのか

この問いに正面から答えた調査があります。

広島大学の望月紀花さんと保坂哲朗先生による研究です。

日本で昆虫食を生産・販売する14社にアンケートを行いました。

うち10社にはインタビューもしています(調査は2023年9月〜11月)。

事業を始めた動機で最も多かったのは「昆虫という新たな食品分野の開拓に魅力を感じたから」です。

14社のうち12社です。

「昆虫食で環境・食糧問題の解決に貢献したいと思ったから」は7社でした。

半数です。

インタビューに答えた10社すべてが「直接的な貢献は難しい」と考えていました。

消費者の購買目的を気候変動問題や食糧危機への対策だと考える企業は、1社もありませんでした。

インタビューに答えた10社のうち9社が、原料に外国原産の種を使っていました。

論文は、輸送の段階で二酸化炭素が排出されている可能性を指摘しています。

論文の結論は「現時点では難しい。そもそも企業は解決を目標としているわけではない。」です。

では昆虫食に意味がないのかというと、論文はそうは書いていません。

昆虫食の認知度が上がり、日本人が昆虫食に慣れたとします。

そのとき食糧難が起きれば、タンパク質源の一つとして選びやすくなる。

そういう長期的な可能性を挙げています。

昆虫食は食糧・環境問題を解決できるのか。日本企業の認識と方向性

まとめ

2013年の報告書は、昆虫食に可能性があると整理した文書です。

昆虫食が環境に良いことを証明した文書ではありません。

そして報告書自身が、そう読まれないように条件を書いていました。

比べているのは同じ量のタンパク質です。

比較相手はアメリカの生産方式です。

温室効果ガスの数字は実験室の小規模実験です。

廃棄物で育てる話は、当時の法令では認められていませんでした。

ライフサイクル評価はミールワーム1種だけで、エネルギーでは鶏肉に負けていました。

13年たって分かっているのは、この条件が消えていないということです。

条件を落として「環境に良い」とだけ伝えると誤解を生むものになるのかもしれません。

日本では2023年をきっかけに昆虫食への動きが大きく変わりました。その時何が起きたのかは、原因を含めて別の記事で改めてご紹介します。

報告書の原典はFAOのサイトで公開されています。

Edible insects: future prospects for food and feed security(FAO Forestry Paper 171, 2013)

SDGsとの関係については、こちらでまとめました。

昆虫食とSDGsが関係する3つの理由。本当にSDGsと言えるの?